受賞者らの発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:21 UTC 版)
「ピエール・ド・クーベルタン・メダル」の記事における「受賞者らの発言」の解説
「ボルトをあげたからナッシュが勝ったのではありません。一番速く滑ったから勝ったのです。」 —エウジェニオ・モンティ(イタリア)。1964年冬季オリンピックにて、ナッシュら英国代表のボブスレーのボルトねじが折れたのに気づきボルトを与えた。このスポーツマンシップに対しピエール・ド・クーベルタン・メダルが与えられた。 「ヒトラーの目の前で私と仲良くするのは大変な勇気を要したに違いない。私の持っているメダルやカップを全部溶かしたところで、私がその時にルッツ・ロングとの間に感じた純金の友情のメッキにすらなりません。」 —ジェシー・オーエンス(アメリカ合衆国)。1936年夏季オリンピックにて、ドイツのルッツ・ロングからアドバイスを貰ったことに関して。ロングにはこのスポーツマンシップを称えてピエール・ド・クーベルタン・メダルが与えられた(死後授与)。 「エマニュエルのメダルを受け取ることはできない。自分の貰った色で満足している。銅だが、私にとっては金だ。」 —バンデルレイ・デ・リマ(ブラジル)、2004年9月1日。ビーチバレーで金メダルを獲得したエマニュエル・レゴからテレビ番組中にメダルを渡されて。バンデルレイはメダルをレゴに返した。 「相手の機材が不十分なことにより勝つことに価値はない。スポーツ選手間の協調はオリンピック精神の基本である。」 —ジャスティン・ハーレー・マクドナルド(オーストラリア)、ピエール・ド・クーベルタン・フェア・プレイ・トロフィーを1994年に受賞。
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