反国王派貴族に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 07:06 UTC 版)
「ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯)」の記事における「反国王派貴族に」の解説
イングランドの宮廷ではエドワード2世の寵臣のギャヴィストン、ギャヴィストン殺害後はヒュー・ル・ディスペンサー父子が専横を振るい、宮廷と貴族が対立を深めた。モーティマーはこの争いに当初中立的だったが、次第にディスペンサー父子と確執を深め、反国王派の第4代ヘレフォード伯(英語版)ハンフリー・ド・ブーン(英語版)の支持者となり、1321年に国王の召還に応じることを拒否し、貴族たちの反乱に参加した。しかし1322年1月にシュルーズベリーで国王に降伏し、ロンドン塔に投獄された。1324年8月に脱走してフランスへ亡命した。 翌1325年に夫エドワード2世やディスペンサー父子と対立を深めていた王妃イザベラがフランスへやってくると、彼女に接近してその愛人となり、王妃のクーデター計画に協力した。 1326年9月に王妃と共に約700の兵を率いてイングランドへ上陸し、1カ月ほどでイングランドを制圧した。エドワード2世やディスペンサー父子らを捕らえ、ディスペンサー父子ら宮廷派を処刑。翌1327年1月の議会でエドワード2世を廃位し、エドワード3世を即位させた。後にエドワード2世は王妃の命令で殺害された。
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