原羊遊斎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 原羊遊斎の意味・解説 

原羊遊斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 02:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
梅木蒔絵印籠、原羊遊斎作、酒井抱一下絵、19世紀前半、メトロポリタン美術館

原 羊遊斎(はら ようゆうさい、1769年明和6年)- 1846年[1]1月22日弘化2年12月25日))は、江戸時代後期の蒔絵師である。号は更山。通称は粂次郎(久米次郎、久米二郎とも)。

経歴・人物

江戸神田生まれ。尾形光琳を初めとする琳派の作風を基盤とした蒔絵を製作する。羊遊斎の生涯については不明な点が多いが、羊寛斎の作風は極めて緻密で伝統的なものであり、多くの作品が今日まで残されているものが多く、特に琳派の画家であった酒井抱一下絵を描いた印籠蒔絵が特に有名であり、古満寛哉と共に当時の蒔絵師の双を成し遂げた。印籠以外にも茶人で当時松江藩主であった、松平治郷の依頼により茶道具の制作に携わった。

これによって、熊本藩細川氏佐賀藩鍋島氏彦根藩井伊氏等に仕えるようになった。また、抱一以外にも鷹見泉石谷文晁太田南畝亀田鵬斎、中井敬義、中村仏庵、歌舞伎俳優七代目市川團十郎等多くの文化人とも親交を結んだとされ、中山胡民や昇龍斎光玉、岩崎交玉等の多くの門人を育てたことでも有名である。没後、巣鴨にある講安寺に葬られた。

主な作品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 1845年(弘化元年)説もある。

出典

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  原羊遊斎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「原羊遊斎」の関連用語

原羊遊斎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



原羊遊斎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの原羊遊斎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS