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原寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 02:24 UTC 版)

原 寛
はら ひろし
生誕 1911年1月5日
東京府東京市
死没 (1986-09-24) 1986年9月24日(75歳没)
国籍 日本
研究分野 植物学
研究機関 東京大学
出身校 東京帝国大学
命名者名略表記
(植物学)
H.Hara
プロジェクト:人物伝
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原 寛(はら ひろし、1911年1月5日 - 1986年9月24日)は、日本の植物学者。東京府東京市神田区出身。日本植物学会元会長。昭和天皇の植物研究の相談役も務めた[1]。父は元枢密院議長の原嘉道

略歴

東京帝国大学(現:東京大学)卒業。 東京大学助教授時代の1950年(昭和25年)には、科学委員による合同進講の機会に昭和天皇に日本ツツジの分類・分布について進講した[2]。また、同年10月2日には、本田正次とともに皇居に招かれ、昭和天皇と吹上御苑内を散策しながら植物調査を行った[3]1952年(昭和27年)、1957年(昭和32年)に行われた植物学に関する合同進講にも参加[4][5]1958年(昭和33年)には、那須御用邸で開かれた植物学に関する座談会にも参加した[6]

1957年(昭和32年)に東京大学教授となる[1]。終戦後停滞していた日本の植物分類学を発展させるため、同大学の標本室の改善や、日本国外の植物相研究の充実などに務めた[7]。特に生涯にわたって、日本の植物の進化と関係が深い中国ヒマラヤ北アメリカ東部などの植物相の研究に力を入れた[7]

1986年(昭和61年)9月24日に75歳で死去した[1]。生涯にわたって記載した植物の新種は約700種にも上る[8]

マメ科ヤブマメ属から分離されたハラシューテリア属(Harashuteria)は、原を称えて命名された[9]

著書

  • 『日本種子植物集覧』(全3巻、1949-1954年、岩波書店
  • 『日本種子植物分布図集』 (全2集、1958年、井上書店)
  • 『最新植物用語辞典』 (1965年、廣川書店)
  • 佐竹義輔・亘理俊次・原寛・冨成忠夫(共編)『日本の野生植物 木本編 I, II』(1999年、平凡社

脚注

  1. ^ a b c 原寛、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2011年7月17日閲覧。
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十一』東京書籍、2017年3月30日、81頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
  3. ^ 『昭和天皇実録十一』p.135
  4. ^ 『昭和天皇実録第11』p.378
  5. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、380頁。 ISBN 978-4-487-74412-1 
  6. ^ 『昭和天皇実録第十二』p512
  7. ^ a b 大場秀章編『日本植物研究の歴史―小石川植物園300年の歩み』(1997年、東京大学総合研究博物館
  8. ^ IPNI
  9. ^ 大橋一晶、那谷耕司、大橋広好『マメ科マメ亜科インゲンマメ連の新属 Harashuteria』、植物研究雑誌92巻(2017)1号p.34-43 doi:10.51033/jjapbot.92_1_10755

関連書籍

  • 『原寛博士業績総覧』(2001年、八坂書店)
日本の爵位
先代
原嘉道
男爵
原(嘉道)家第2代
1944年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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