南祖坊の誕生と修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:37 UTC 版)
陸前気仙の近くにざん訴によって都落ちした藤原是真の子がいた。子供夫婦には子がいなかった。奥方は観音堂に祈願を込めたところ、満願の日に「願いをかなえてしんぜよう。だが、その子は弥勒の出世を願うことだ」とお告げがあった。やがて生まれた子が南祖坊であった。南祖坊は修行を重ね76歳の時熊野山において法力を得た。ある日「片方の草履と杖を与える。これを持って思いのまま歩け。片方の草履を見つけたらそこを永住の地とせよ」と神の声を聞くと共に、片方の鉄の草履と鉄杖を手にした。南祖坊は喜び、多くの地を踏破し、十和田湖の自籠岩付近でついに片方の草履を発見した。南祖坊はこの自籠岩に端座し、昼夜を分かたず経文を唱えた。そこに、湖の主である八郎太郎が現れた。
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