南ドイツ連邦とは? わかりやすく解説

プラハ条約 (1866年)

(南ドイツ連邦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/31 04:41 UTC 版)

プラハ条約(1866年)
署名 1866年8月23日
署名場所 プラハ
締約国 プロイセン王国
オーストリア帝国
主な内容 普墺戦争の講和
関連条約 ニコルスブルク仮条約
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プラハ条約(プラハじょうやく、: Prager Frieden)は、1866年8月23日に結ばれた普墺戦争の講和条約。

この条約において、ドイツ連邦の解体が正式に定められ、プロイセン王国を中心としたドイツ統一が推進されることになった。

骨子

南ドイツ連邦

条約によりマイン川以南の地域は南ドイツ連邦を発足させることが認められた。バイエルン王国ヴュルテンベルク王国バーデン大公国、そしてヘッセン大公国領のうちマイン川以南にあるシュタルケンブルク[1]とラインヘッセン[2]である。ヘッセン大公国領マイン川以北オーバーヘッセンは北ドイツ連邦に参加した。普仏戦争が大同団結の契機となり、南ドイツ連邦は流産した。

脚注

  1. ^ ヘッペンハイムを中心とする現在のベルクシュトラーセ郡。旧ヘッセン=ダルムシュタット方伯領
  2. ^ マインツからモーンスハイム(Monsheim)近辺まで

参考文献

  • 成瀬治ら編 『世界歴史大系 ドイツ史2』 山川出版社、1996年
  • 南塚信吾編 『新版世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史』 山川出版社、1999年

関連項目

外部リンク


南ドイツ連邦

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プラハ条約 (1866年)」の記事における「南ドイツ連邦」の解説

条約によりマイン川以南地域は南ドイツ連邦を発足させることが認められた。バイエルン王国ヴュルテンベルク王国バーデン大公国、そしてヘッセン大公国領のうちマイン川以南にあるシュタルケンブルクとラインヘッセンである。ヘッセン大公国マイン川以北オーバーヘッセンは北ドイツ連邦参加した普仏戦争大同団結契機となり、南ドイツ連邦は流産した

※この「南ドイツ連邦」の解説は、「プラハ条約 (1866年)」の解説の一部です。
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