千葉卓三郎との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 06:58 UTC 版)
権八は父、生丸の教育方針により地域きっての知識家となった。彼の学習ノートを見ると哲学や思索を好んだことがうかがえる。ソクラテス、カント、J.S.ミルといった西洋の思想家にも精通していた。五日市に入村した千葉卓三郎と出会ったのは明治8年(1875年)から明治10年(1877年)頃とされている。卓三郎は仙台藩出身であり、仙台藩校養賢堂で学んだ後、浄土真宗やギリシャ正教、キリスト教を学びつつ各地を流転していた。卓三郎が五日市に入村した際、学問を好む深沢父子は彼の学識の高さに惚れ込み熱烈な支援者となった。名主としての経済力を元に資金援助を行ったほか、数々の蔵書を卓三郎に提供した。
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