千石荘での入院生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 00:27 UTC 版)
梯は20歳の時に大学受験を決心し、4年にわたって営業を続けていたかけはし時計店をたたんで大阪に移住した。しかし、新しい大学制度のもとで大学受験資格を得るために必要な在学年数が足りないことが判明したため、大学受験資格を得るために大阪府立北野高等学校の夜間部に編入した。ところが、卒業を目前にした1月に喀血し、精密検査の結果結核に罹患したことが判明した。短期で治癒する見込みがないことから、大阪の南にある療養所の千石荘に入院し、高校は退学した。 当時の食糧事情では診療所の食糧確保もままならない状態だったため、入院患者は自衛のためにある程度は自力で食糧を確保する必要があった。梯は入院中も時計やラジオの修理の仕事を行い、入院費や食糧調達のための資金に充てた。試験電波を受信するためにテレビを自作し、見物人が病室からあふれる事もあった。 入院生活の甲斐なく梯の体力は徐々に低下し、特に入院から3年経過したころに急激に体調を崩した。しかし、幸運にも当時新薬として発表されたばかりのストレプトマイシンの被験者に選ばれ、ストレプトマイシンの処方を受けたことで梯の体力は劇的に回復した。結核から回復した梯は千石荘を退院するが、入院生活が4年間の長期にわたったことで、梯は大学入学を断念せざるを得なくなった。
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