千家家と北島家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:40 UTC 版)
出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、南北朝時代の康永年間に千家家と北島家の2家に分裂した。その祭事は幕末までは両家が二分して行っていたが、明治以降は千家家が執り行っている。 千家家(出雲大社教) 1872年(明治5年)に出雲大社宮司の千家尊福が出雲大社崇敬講社を結成。1882年(明治15年)に政府の方針で神職教導職の兼務が認められなくなったため、千家尊福は宮司職を弟の千家尊紀に譲って教化活動に専念。出雲大社教院は出雲大社そのものから分離して教派神道の一つとなった。第二次世界大戦後、神社が国の管理を離れたことから再び出雲大社と密着する形に至った。 北島家(出雲教) 1872年(明治5年)に北島脩孝が千家尊福とともに出雲大社崇敬講社を結成。1882年(明治15年)に出雲教会を設立した。第二次世界大戦後、1952年に宗教法人法に基づく独立した宗教法人出雲教となった。 以上のように大国主大神を主祭神とする宗教団体として、千家家が出雲大社教、北島家が出雲教を主宰している。 1951年(昭和26年)4月に出雲大社と教派神道の宗教法人出雲大社教は一体化され、出雲大社の職員は出雲大社教の職員を兼務し、出雲大社宮司は出雲国造として出雲大社教を総攬し、出雲大社教の教務本庁は出雲大社の教務部として活動している。
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