千家と職家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 07:31 UTC 版)
茶道は茶室と呼ばれる狭い空間で行われる事が多く、独特の作法が存在することから、使用される道具には工夫が必要とされる。特に千利休は長次郎(初代・樂吉左衛門)の茶碗や京釜師・辻与次郎の釜など、独特の好みを持って茶道具を選んでいた。利休の茶風を残そうとした千宗旦も職人を指導し、利休好みの作品を作れる者を重用した。樂家の茶碗や飛来一閑の棗・香合のほか、現在の千家十職には名前がないが西村九兵衛の釜も宗旦に好まれ、多くの作品を残している。 表千家の7代・如心斎や裏千家8代・又玄斎一燈は17世紀末の元禄期に千家七事式を考案し、現在に繋がる茶道の形式が確立されていった。このような中で、元文四年(1739年)9月4日に如心斎が催した利休・百五十年忌の年忌茶会では、千家の職方として樂吉左衛門、塗師・中村宗哲、袋師・土田友湖、竹屋・玄竺、袋師・二得の五名が招かれている。特に吉左衛門と宗哲は当時の職方の長老的な存在だったと言われる。
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