医療保険システムの萌芽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:33 UTC 版)
「医療保険制度改革 (アメリカ)」の記事における「医療保険システムの萌芽」の解説
私的な医療保険の仕組みは、19世紀ヨーロッパにおいてギルドや工場等において見られるようになった。アメリカにおいては20世紀はじめにヨーロッパからの移民が病気のときの給付を行う小さな互助組織を形成し始め、同時期にメトロポリタンライフとプルデンシャルが葬式費用と終末期医療費用を含んだ生命保険を売り始めた。この個人向け医療保険は週ごとの給料日に保険料を徴収するなど大変な運営費用がかかったため、大きな広がりを見せることはなかった。アメリカにおける私的医療保険の成長は、病院にかかる費用の上昇と医療サービス提供側のイニシアティブによってもたらされた。1920年代には、病院は死ぬためのところではなく元気になるためのところになっていたが、未だ多くの患者が入院費用を支払えずにいた。大恐慌の最中、このような入院費用をカバーする私的医療保険プランが広がったが、この医療保険プランは特定の病院にかかる費用に限ってカバーするものだった。この中で、アメリカ病院協会(The American Hospital Association)により州全体にわたって病院を自由に選ぶことができるブルークロス(Blue Cross)病院保険プランを提供され始めた。1939年にはカリフォルニア医師協会(The California Medical Association)が医師のサービスをカバーするブルーシールドプラン(The Blue Shield plan)を開始した。1940年までに39のブルークロスに600万人を超える人々が加入するようになった。このように、アメリカにおける医療保険の広がりは患者側ではなく、安定した収入源を求める医療提供者側のイニシアティブによってもたらされたものであった。
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