北条時定 (平安時代)とは? わかりやすく解説

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北条時定 (平安時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 05:00 UTC 版)

北条 時定[注釈 1](ほうじょう ときさだ、久安元年(1145年[1] - 建久4年2月25日1193年4月2日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての北条氏の一門。通称は平六。北条時兼[1]または北条兼時の子とされ、北条時政の甥、もしくは従弟[注釈 4]か弟[注釈 5]とも。


注釈

  1. ^ a b 平家物語』では北条平六時貞と記されている。
  2. ^ a b c 『吾妻鏡』文治2年9月25日条に「検非違使平六兵衛尉代官」とある。
  3. ^ 時綱の子の五郎某は、承久の乱では北条得宗家に刃向かって後鳥羽上皇側についたという[要出典]
  4. ^ 奥富敬之坂井孝一の説。
  5. ^ 野口実の説。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 吾妻鏡』建久4年2月25日条
  2. ^ 『吾妻鏡』文治2年5月25日の条
  3. ^ 『吾妻鏡』文治2年6月28日条
  4. ^ 『吾妻鏡』文治2年7月18日条
  5. ^ 九条兼実の日記『玉葉』文治5年1月13日条


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