加賀守系 「正嫡家」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 01:43 UTC 版)
由布加賀守の系統は大友氏の下で初め豊後国吉野に在城し、後に由布院山城主となる。大分市杉原(すぎばる)を吉野地区といい、杉原にある吉野臥竜梅のいわれに登場する大友義鎮(宗麟)の逸話には宗麟の御用人 油布弥太郎が登場し、弥太郎の子孫である油布家が杉原に点在する。古来、由布山を油布嶽と表記していた。また、由布岳の山頂基準点名は「油布山」との表記であり、大分県にある油布氏は圧倒的に油布との表記が多い。 由布家続を初め戸次氏及び立花鑑連の重臣を輩出し、後に柳河藩士となった。また、同家の分家が奥平松平家の松平忠明(下総守)に仕官する。
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