加賀元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 05:34 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | 岩手県北上市飯豊町[1] |
生年月日 | 1972年8月19日(52歳) |
身長 体重 |
185 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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加賀 元(かが げん[注 1][2]、1972年8月19日 - )は、岩手県北上市出身の元プロ野球選手(投手)[3]。右投右打[4]。
経歴
北上市立飯豊小学校、北上市立飯豊中学校を経て盛岡工業高校に進学[2]。父親の影響で幼少期から野球ボールを握っており、小学校5年生のころから投手としてプレーしていたとする資料がある一方[1]、小学2年生で野球を始めた時点では中堅手だったが、中学時代に投手に転向したとする資料もある[4]。高校時代は2年生だった1989年秋に県大会準優勝を果たし、東北大会でも2試合連続完投で準決勝へ進出したが敗退。3年生だった1990年夏の岩手県大会予選では1回戦で敗退した[1]。
1990年12月3日、中日ドラゴンズにドラフト外入団することで合意し、仮契約を締結した[1][5]。契約金は1500万円、1年目となる1991年シーズンの年俸は360万円(いずれも推定金額)で[1][5][4]、背番号は60[4][3]。
1991年4月11日、加賀は近藤真一、中嶋治彦、辻本弘樹、富永章敬、小池貴志、金子歩とともに支配下選手登録を外されて「準支配下選手」[注 2]として公示された[6]。同年は一軍(セントラル・リーグ)公式戦では登板機会がなく、二軍(ウエスタン・リーグ)で9試合に登板、うち8試合で先発登板し、投球回41イニング、3勝2敗0セーブ、防御率3.51の成績を残した[3]。
1992年シーズンの年俸は420万円[3]。一軍登板機会がないまま、同年11月27日付で任意引退選手として公示され[7][8]、同年限りで現役を引退した[9]。
引退後の1993年から2001年まで中日の打撃投手を務めた[注 3][9][12][13][14][15][16][17][18][19][10]。
選手としての特徴・人物
プロ入り当初は最高球速140 km/hの速球が武器で、制球力も良いと評されていた[4]。左投手の今中慎二を右投げにしたようなタイプの本格派投手であるとする評価や、遠藤一彦に似た投球フォームであるとする評価がある[1]。また投球は荒削りながら、「逃げ」の投球にならない点を評価されていた[3]。担当スカウトの三宅宅三は、かつて欠端光則や高沢秀昭ら無名の選手を発掘したことで定評があり[1]、加賀については「フォームに“ため”ができれば、もっと速くなる」と評しており、加賀本人も遠藤のような本格派投手を目標としていた[20]。
高校時代から冬場に10 kmのランニングを欠かさず行っていた[20]。
家族構成は両親と6歳年上の姉[1]。父親は大館鳳鳴高校時代に石戸四六(元国鉄スワローズ)とともにプレーしたことがあるため、息子である元に幼いころから野球ボールを握らせていた[1]。
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
詳細情報
背番号
- 60(1991年 - 1992年)
- 124(1996年 - 2000年)[21]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j 『中日スポーツ』1990年12月4日付第5版2頁「140キロの本格派 加賀(盛岡工)ドラの星 目標大きく〝遠藤二世〟 胸ときめかす三宅スカウト でっかい手にでっかい期待」(中日新聞社)
- ^ a b 『'91 ドラゴンズファンブック』1991年3月6日発行、33頁「60 加賀元 大きな手に大きな期待」、中日ドラゴンズ(発行・企画制作)、中日新聞社(発売)
- ^ a b c d e 「'92プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第16巻第4号、日本スポーツ出版社、1992年3月31日、135頁。 - 通巻:第162号。1992年3月号増刊。
- ^ a b c d e 「'91プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第15巻第4号、日本スポーツ出版社、1991年3月31日、70頁。 - 通巻:第150号。1991年3月号増刊。
- ^ a b 『読売新聞』1990年12月4日東京朝刊スポーツA面19頁「中日・上原投手らが契約更改 ドラフト外で盛岡工高の加賀投手と仮契約」(読売新聞東京本社)
- ^ 『中日新聞』1991年4月12日朝刊運動1面27頁「セが準支配下選手59人を公示」(中日新聞社)
- ^ 『中日スポーツ』1992年11月28日付第5版2頁「セ・リーグ公示(27日)」(中日新聞社)
- ^ 『毎日新聞』1992年11月28日東京朝刊第14版スポーツ面21頁「プロ野球公示(27日)」(毎日新聞東京本社) - 縮刷版1101頁。
- ^ a b c 「'93プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第17巻第4号、日本スポーツ出版社、1993年3月31日、191頁。 - 通巻:第174号。1993年3月号増刊。
- ^ a b 「プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2001」『ホームラン』第25巻第2号、日本スポーツ出版社、2001年3月31日、57頁。 - 通巻:第258号。2001年3月号増刊。
- ^ 「プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2002」『ホームラン』第26巻第2号、日本スポーツ出版社、2002年3月31日、109頁。 - 通巻:第264号。2002年3月号増刊。
- ^ 『ベースボールマガジン』1993年春季号、ベースボール・マガジン社
- ^ 「'94プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第18巻第5号、日本スポーツ出版社、1994年3月31日、49頁。 - 通巻:第191号。1994年3月号増刊。
- ^ 「'95プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第19巻第3号、日本スポーツ出版社、1995年3月31日、49頁。 - 通巻:第202号。1995年3月号増刊。
- ^ 「'96プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.20」『ホームラン』第20巻第4号、日本スポーツ出版社、1996年3月31日、91頁。 - 通巻:第213号。1996年3月号増刊。
- ^ 「'97プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.21」『ホームラン』第21巻第4号、日本スポーツ出版社、1997年3月31日、49頁。 - 通巻:第225号。1997年3月号増刊。
- ^ 「'98プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.22」『ホームラン』第22巻第4号、日本スポーツ出版社、1998年3月31日、105頁。 - 通巻:第236号。1998年3月号増刊。
- ^ 「'99プロ野球 12球団全選手百科名鑑 No.23」『ホームラン』第23巻第3号、日本スポーツ出版社、1999年3月31日、49頁。 - 通巻:第246号。1999年3月号増刊。
- ^ 「プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2000」『ホームラン』第24巻第3号、日本スポーツ出版社、2000年3月31日、43頁。 - 通巻:第252号。2000年3月号増刊。
- ^ a b 『中日新聞』1991年1月22日朝刊運動1面19頁「飛び出せ若竜 91新戦力(6) 加賀元投手 ドラフト外 プロの体へ筋力強化」(中日新聞社)
- ^ 「歴代背番号」『中日ドラゴンズ 公式サイト』中日ドラゴンズ。2025年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月2日閲覧。 - 「加賀元」と検索して出力されたデータを閲覧。
関連項目
- 加賀元のページへのリンク