前田製紙株式会社
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1898年(明治31年)には著名な勧業奨励家の前田正名が北海道に紙パルプ製造事業を立ち上げることを考える。1899年(明治32年)、前田は富士製紙に技術援助を求めるが新工場を建設中の富士製紙には余裕がなく、真島襄一郎を紹介する。真島は話を聞き工場設計および技術指導ならば引き受けても良いと答え前田は工場建設の権限を真島に移譲する。真島は1899年(明治32年)秋には北海道を視察し部下の技師塚本文三郎に前田の新工場建設を任せる。しかし前田が用意できた資金は少なく塚本は予算不足に悩みながらも建設を進め、真島は女婿の幸次郎も派遣しこれを援助させ1901年(明治34年)5月めでたく開業する。真島はさらに技術者を送り込むが設備を改善するにも資金がなく良質なパルプの製造にはこぎつけなかった。前田はついに前田製紙としての事業をあきらめ、富士製紙の出資を求めて1902年(明治35年)北海紙料株式会社として組織変えする。1906年(明治39年)、北海紙料株式会社は富士製紙に買収される。
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