刑天の舞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:55 UTC 版)
刑天が干戚を手にして舞ったという舞は同じ『山海経』の中山経に見える「干儛(かんぶ)」(盾の舞)に類するものと考えられるが、干儛が同経で「兵(武器)を用ひ以て禳(はら)ふ」ものと定義され晋の郭璞注のように盾を執って行う祓除の祭儀であったのに対し、刑天の舞は干儛の前身と思われる戦争に際して戦意高揚の為に戦闘集団が敵を屈服すべくその奉じる神に捧げた予祝儀礼としての武舞に起源するものと思われる。一方で、先秦時代の中国には征服した俘虜の首を刎ね又は殺戮してその血を祭器に注ぐ「伐礼(ばつれい)」という祭儀があったので、これらの説話(或いは神話)はかつて中原の漢民族が西域異民族を征圧した際に行ったその伐礼が投影されたものである可能性もあり、或いは被征服側が戦前の予祝として行った武舞を敗戦後に却って征服者に服属儀礼として献る事が行われた、乃至は征服者が祝勝儀礼の場で被征服者の予祝武舞を演じた事があって、そうした儀礼の投影されたものであるとも考えられる。
※この「刑天の舞」の解説は、「刑天」の解説の一部です。
「刑天の舞」を含む「刑天」の記事については、「刑天」の概要を参照ください。
- 刑天の舞のページへのリンク