刑執行手続きの問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 20:05 UTC 版)
「アリー・ハサン・アル=マジード」の記事における「刑執行手続きの問題」の解説
2007年9月4日,イラク高等法廷第2審は、アンファール作戦におけるクルド人惨殺により死刑を命じた第1審判決を支持。これによりアリー・ハサンは30日以内に死刑が執行されるはずであったが、10月3日、ラマダーン中により延期された。ラマダーン後には執行されると見られたが、その後、アリー・ハサンと共に死刑判決が出され、一緒に処刑されるはずであったスルターン・ハーシム・アフマド・アッ=ターイー元国防相とフセイン・ラシード・アル=ティクリーティー元軍総司令部総長の恩赦を巡って、イラク政府内で意見が対立し、現在に至るもアメリカ軍の親権下にあり、ヌーリー・マーリキー首相は、アメリカ側にアリー・ハサンも含む3人の死刑囚の身柄のイラク側引渡しを求めていた。 2008年2月29日、イラク大統領評議会はアリー・ハサンの死刑執行を認める法案に署名した。これにより数日以内に刑が執行されることになった。他の2被告(フセイン・ラシード及びスルターン・ハーシム・アフマド)については「軍人として命令に従っただけであり死刑は重過ぎる」という意見をタラバニ大統領及びターリク・アル=ハーシミー副大統領が主張し、2人の死刑執行を認めなかった。しかし、マーリキー首相以下、イラク政府は上記二人の死刑執行も認めなければアリー・ハサンの死刑執行も行わないとしていた。
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