刀談片々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 04:21 UTC 版)
作者:研師・刀剣学者として活躍していた本阿弥光遜 年代:1936年 旗本:旗本に関しては特定されておらず、旗本の何某という人とされている なぜ松の枝を切ろうとしたのか:長曽祢興里が刀代としてその当時で百両くれといったところその旗本が少し値切ったという。すると虎徹が非常に怒り、「私の刀は何百両出しても打たぬといった打たぬが。その代わり切れ味は御覧の通りだ」といって切ったという。 その後の伝来:その後その人が百五十両をもって貰いに来たが頑として渡さず誰か自分の気に入った人に渡したという。 その他:光遜はこの話が真実かはわからないが、虎徹の切れ味をよく表す逸話であり、石灯籠切虎徹は「虎徹としては一番有名な刀です」とも述べている。
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刀談片々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 05:06 UTC 版)
戦前より研師・刀剣学者として活躍していた本阿弥光遜の著書『刀談片々』によれば、燈篭切虎徹とも呼ばれており、旗本に関しては特定されておらず旗本の何某という人とされている。長曽祢興里が刀代としてその当時で百両くれといったところその旗本が少し値切ったという。すると虎徹が非常に怒り、「私の刀は何百両出しても打たぬといった打たぬが。その代わり切れ味は御覧の通りだ」といって切ったという。その後その人が百五十両をもって貰いに来たが頑として渡さず誰か自分の気に入った人に渡したという。光遜はこの話が真実かはわからないが、虎徹の切れ味をよく表す逸話であり、石灯籠切虎徹は「虎徹としては一番有名な刀です」とも述べている。
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