冠を衝く一怒は紅顔の為なりとは? わかりやすく解説

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冠を衝く一怒は紅顔の為なり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:01 UTC 版)

呉三桂」の記事における「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」の解説

山海関で順と清の軍勢挟まれる形で窮地立っていた呉三桂異民族である清軍に降った経緯に関しては、諸説があり確かな結論は無い。宋代以降異民族戦った将軍英雄視する社会の中で、結果として異民族中国売り渡したと評せられるこの行為対し陳円円という美女のせいであるという話が早くから流布している。 蘇州歌姫絶世の美女称せられた陳円円は、もともと崇禎帝のために周皇后の父の周奎が買い求め皇帝寵愛受けないうちに呉三桂見初めていた。呉三桂遼寧出征した際に陳円円は呉襄の屋敷に住むことになったが、この直後北京は順軍に占領された。そして李自成武将である劉宗敏陳円円奪われたことを知った呉三桂激怒して、父に詰問状を送るとそのまま清軍に援助要請行った、というのである。 この話は『明史』にも載っているが、果たし呉三桂真意がどこにあったかは不明である。しかし早くから民間には陳円円に関する説話広まっており、同時代詩人である呉偉業梅村)は七言古詩円円曲』を詠みその中で「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」(呉三桂怒り陳円円のためだ)と謡っている。ただし、呉三桂評判芳しくないことから、その背信行為を憎む後世の人々作り上げた話だといえなくもない。

※この「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」の解説は、「呉三桂」の解説の一部です。
「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」を含む「呉三桂」の記事については、「呉三桂」の概要を参照ください。

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