写真家・仰山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 07:24 UTC 版)
この間、仰山は御用のため大坂に赴いており、慶喜の写真御用を務める1人だったとも言われる。石井研堂によると、仰山は「邦人中最も古い写真家の一人だ。慶喜公上洛の時、従って京都に在り、写を乞はるること多く、謝礼を受くる毎に、その額をも定めもせず、これを袖に納め宿に帰りて後、今日は一つかみあった、今日は二つかみあったといってる位、無慾人であった。その器械は、蘭人から買ったものだが、当時の写真器は、レンズ四枚あり、四枚の焼点が、一点に集中せなければならず、それが難しいので高価なのだと言はれて買ったと自ら言って居た」という。また、慶喜将軍時代、彼の命で二条城内や同本丸などを撮影し、ナポレオン3世から贈られたフランス軍服を身に付けた慶喜像を撮影したという。これらの記述に裏付けは取れないものの、先述の願書や仰山の後任に油絵と写真が巧みな霞谷が登用された経緯から、仰山が慶喜の写真御用を勤めていた可能性は高いと考えられる。
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