共産主義ユーゴスラビアでの教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:07 UTC 版)
「クロアチアのカトリック」の記事における「共産主義ユーゴスラビアでの教会」の解説
クロアチア人民解放国家反ファシスト委員会(ZAVNOH)は本来は同国においてより大きな宗教的自由の度合いを予見していた。1944年にZAVNOHは学校教育の場での宗教教育の可能性を開いていた。この発案はユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・ティトーがクロアチア共産党の中央委員会書記長アンドリヤ・ヘブラング(Andrija Hebrang)を取り除いて強硬派のヴラディミル・バカリッチ(Vladimir Bakarić)を据えた後に断念された。 1945年に、引退したドゥブロヴニク司教 (Roman Catholic Diocese of Dubrovnik)ヨシップ・マリヤ・ツァレヴィッチ (Josip Marija Carević)がユーゴスラビア当局によって殺害された。ヨシップ・スレブルニッチ(Josip Srebrnič)司教は二ヶ月間収監された。終戦後、ユーゴスラビアのカトリックの出版物の数は百から僅か三つまで減少した。 1946年には、共産主義体制は教会の登録やその他の書類を没収する『国家登録書籍法』を導入した。1952年1月31日には、共産主義体制は公式に公立学校での全ての宗教教育を禁止した。同年に体制はザグレブ大学(University of Zagreb)のカトリック神学部をも廃止し、それは1991年の民主化まで回復されなかった。 1984年に、カトリック教会はマリヤ・ビストリツァで国家聖体大会を開催した。9月9日に開かれた中央ミサには1100人の司祭や35人の司教や大司教、5人の枢機卿を含めた40万人が参加した。ミサは初期の研究の頃からアロイジエ・ステピナツの友人だったフランツ・ケーニヒ枢機卿によって主導された。1987年にユーゴスラビア司教協議会(Bishops' Conference of Yugoslavia)は政府に対し両親が子供達に宗教教育を行う権利を尊重する様呼び掛ける声明を発表した。
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