共和政の開始と紀元前509年のウェイイとタルクィニイとの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:38 UTC 版)
「ローマ・エトルリア戦争」の記事における「共和政の開始と紀元前509年のウェイイとタルクィニイとの戦争」の解説
詳細は「シルウァ・アルシアの戦い」を参照 紀元前509年、ローマ最後の王であるタルクィニウス・スペルブス(傲慢王)が追放され、最初の執政官(コンスル)選挙が行われた。タルクィニウスは彼の家系がエトルリアのタルクィニイ (エトルリア語: Tarch(u)na)にあることから、タルククィニイの支援を、また奪われた領土の回復を約束してウェイイからの支援を得た。タルクィニウスは両都市の軍を率いてローマ軍と戦うが、シルウァ・アルシアの戦いでローマ軍に敗れた。執政官プブリウス・ウァレリウス・プブリコラは敗走したエトルリア軍の遺棄した武器を集め、ローマに戻り紀元前509年3月1日に凱旋指揮を挙行した。ただし、もう一人の執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスは戦死した。 リウィウスによると、ウァレリウスはこの年の遅くにウェイイ軍と再戦している。これがシルウァ・アルシアの戦いの続きなのか、また別の新たな紛争なのかはっきりせず、この戦いの詳細もまたわかっていない。
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