公共事業の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 14:55 UTC 版)
公共事業は古代から存在し、例えばエジプト王国では公共事業費が最大の支出であった。エジプト王国では毎年7月から10月にかけてナイル川の大規模な氾濫がおき、その復旧に多くの人民が動員され給与(穀物)が支給された。また、古代エジプトではピラミッドや神殿の建設のためにも多くの人民が動員されたが、王権の強さを示すだけでなく、ナイル川の氾濫期の人民に対する失業対策・治安対策でもあった。 古代ローマでもアッピア街道やコロッセウムの建設など大規模な公共事業が行われた。ローマには選挙制度があり候補者は様々な公共事業を公約として掲げることが行われた。ローマ帝国では拡大した領土を維持するため軍事費と公共事業費が莫大な規模になり、2世紀の五賢帝時代には国家財政の約半分が軍事関連に充てられるようになった。それを補うためローマ帝国では様々な名目での増税が繰り返されたが、商工業の衰退を招き、3世紀には軍の維持も困難となってゲルマン人の侵入を許す結果につながった。
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