八幡製鉄所での変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 10:24 UTC 版)
「阪堺鉄道浪花形蒸気機関車」の記事における「八幡製鉄所での変遷」の解説
八幡製鉄所では、下記のように改番して使用した。 17, 19, 18, 16 → 12, 13, 20, 23 1921年(大正10年)の改番では、その順に111, 178, 179, 190となり、1937年(昭和12年)の形式図でもそのように記載されている。さらに後の1950年(昭和25年)の形式図では、11, 117の2両に減少しており、番号の新旧対照も不明である。この時点で、両機とも運転室は更新されて、オリジナルの炭庫は撤去して運転台背部に炭庫を増設している。また、11はスカートの下辺に丸みを付けており、117はスカートはストレート形状のままであるが、更新されて表面は平滑となり、従来炭庫のあった部分に水槽を増設している。八幡製鐵所では、その形態から「重箱」と呼んでいたようである。 残りの2両については、1938年から翌年にかけて改造され、232, 234, 235, 236のうちの2両とされたと推定されているが、事実上の廃車→代替新造であったとみるべきで、形態も大きく変わって全くの別物となっている。
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