児童養育施設の経営者一家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 17:50 UTC 版)
「ボーイ・イン・ザ・ボックス」の記事における「児童養育施設の経営者一家」の解説
遺体発見現場から約2.4キロメートル離れた場所にあった、児童養育施設に関するもの。 1960年、この事件を調査していた監察医務院の男性職員(1993年に亡くなるまで、執念深くこの事件を追っていた)が、 ニュージャージー州に住むある女性霊能者に接触し、霊能者はその男性職員に探すべき家の特徴を伝えた。そして、その特徴に合致する家を捜索した結果、当養育施設へと辿り着いた。 後日、女性霊能者は遺体発見現場に招くと、なんと彼女はそこから例の養育施設に導いた。男性職員は養育施設が売りに出された際、客を装って施設を訪問した。その際、彼はそこでJ.C.ペニーで販売されていたものに似た揺り篭や、少年の遺体を包んでいたものに似た毛布が、物干し用の紐に掛けられているのも発見した。 そして、その後も施設を調べていくうちに「被害者の少年は、経営者である男性の継娘が産んだ子供」、と男性職員は結論づけるようになった。 1957年当時、シングルマザーであることは不名誉と見なされていた。そこで男性職員は「少年の死は事故によるもの。遺体を遺棄したのは、継娘が未婚の母であることを隠蔽するため」と推理した。これらの状況証拠があるにもかかわらず、警察は少年と養育施設の関連性を何ひとつ発見できなかった 。 1998年、フィラデルフィア市警察で事件を担当する警部補が、経営者である男性と継娘 (この時、2人はすでに結婚していた)に事情聴取を行った結果、「この一家は事件と無関係」という最終判断が下され、養育施設への捜査は切り上げられた。
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