備後貝三原正真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 14:59 UTC 版)
貝三原派の正真は、備後国三原(現在の広島県三原市)に住んでいた明応(1492-1501年)・文亀(1501-1504)ごろの刀工で、「備後国三原住貝正真」と銘を切る。 『古刀銘尽大全』によれば、三原正近の子であり、最上大業物三原正家の曾孫に当たる。貝三原というのは、俗説では三原派が広島県尾道市御調町貝ケ原に移住したから、とされるが、実際は三原正清を祖とする分派のトレードマークのようなものである。 貝三原正真の代表作に、石田三成が関ヶ原の戦いで佩用していた無銘の刀(後に号「さゝのつゆ」)がある。関ヶ原の後は田中吉政家臣で三成捕縛の実行者だった田中伝左衛門(田中吉忠)に下賜された。田中吉忠の子孫の妻が、不埒を働いた若党をこれで手討ちにしたが、手応えがなく若党がそのまま逃げ出してしまったので不思議に思っていると、若党は塀にぶつかった拍子に袈裟懸けに真っ二つに裂けた。田中家では京信国と伝承されていたのだが、田中家が手放した後に所有者の川崎某が本阿弥家に鑑定に出したところ実は貝三原正真だった。
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