備後国分尼寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 13:27 UTC 版)
尼寺跡は、僧寺跡から堂々川を挟んで西の小山池廃寺跡(こやまいけはいじあと、福山市神辺町西中条:北緯34度33分49.53秒 東経133度23分15.60秒 / 北緯34.5637583度 東経133.3876667度 / 34.5637583; 133.3876667 (小山池廃寺跡))に比定される。1976-1978・1997年度(昭和51-53・平成9年度)に発掘調査が実施されている。 伽藍配置は東に金堂、中央に塔、西に講堂が並ぶ珍しい形式である。白鳳期末期の7世紀後半頃の創建で、平安時代の12世紀頃まで継続したと推定される。備後国分寺と近接し、かつ備後国分寺と共通する瓦が出土することから、白鳳寺院が奈良時代に国分尼寺として再利用されたと推測される
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