備中鍛冶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 04:24 UTC 版)
吉備国(現在の岡山県を中心とする地域)は、古来鉄の産地として知られ、備前国(おおむね岡山県の南東部)には多くの刀工が存在したが、隣国の備中国(おおむね岡山県の西部)にも刀工集団が存在した。古伝書『元亀目利書』によれば、備中鍛冶は刀工・安次(やすつぐ)を祖とする青江鍛冶と、則高(のりたか)を祖とする妹尾(せのお)鍛冶とに分かれるという。青江は高梁川の下流、現在の岡山県倉敷市に位置する。現存刀の銘には、刀工の居住地として子位荘(こいのしょう)および万寿荘(まんじゅのしょう/ますのしょう)の地名がみられる。「備中国子位東庄青江助次作/正和元年六月日」と銘する太刀が現存し、青江が子位荘に位置していたことが明らかである。子位荘は墾田地系荘園、万寿荘は寄進系荘園とされるが、これらの詳しい沿革は不明であり、子位は万寿荘のなかの地名であったのか、子位荘と万寿荘は並存していたのかどうかも不明である。なお、前述の妹尾は、現在の岡山市南区妹尾にあたる。
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