倶舎論・成実論・大毘婆沙論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 14:39 UTC 版)
倶舎論巻二二では、瓶や衣や水や火は、形が壊れたり、慧によって分析して見ることで要素に分けられてしまえば、「瓶・衣・水・火」などと名づけられるべきものが無いのであるが、世間では仮にそれらのものに名を与えて「瓶がある」などと言うという例を挙げ、このように世間一般の常識において「誤りのない真実」とされることを世俗諦とし、これに対して、いわゆる五位七十五法として説かれる存在の構成要素としての法は、出世間的な真理(仏教の真理)として存在を認められるものであるから、「これらの法がある」と説くことを勝義諦とする。 成実論巻十一では、仮に名が与えられるだけで実体のないものを俗諦とし、色などの法と涅槃とを真諦とする。 大毘婆沙論巻七七では、世間で常識的に知られている事柄や、世間で便宜的に約束として決めている道理などを世俗諦とし、無漏の聖智によって見とおされた真実の真理を勝義諦としている。
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