個人経営・2代目御殿場馬車鉄道時代
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「御殿場馬車鉄道」の記事における「個人経営・2代目御殿場馬車鉄道時代」の解説
御殿場馬車鉄道は解散したが、運営していた馬車鉄道は気象学者の野中到が1万円で買収し、個人経営の「野中御殿場馬車鉄道」となった。このころから、馬車鉄道は利用が御殿場地域に限定されるようになっていく。 1909年(明治42年)4月になると地元の地主らによって御殿場馬車鉄道株式会社(2代目)が再度設立され、馬車鉄道は個人経営から同社の経営に移行する。沿線に地形の難所が多く事故が頻発するため人車軌道への変更の申請を1910年(明治43年)に行ったが、実現しなかった。 1918年(大正7年)9月に峠越え区間の須走 - 籠坂間が廃止され、1919年(大正8年)には御殿場 - 須走間が廃止されて御殿場馬車鉄道は御殿場地域内のみの地域鉄道に縮小されたが、1920年(大正9年)には御殿場から足柄街道に沿って窪町坂停留場に至る区間を開業させた。だが、バスやトラックが普及したため馬車鉄道は衰退。1928年(昭和3年)に全線が休止し、1929年(昭和4年)1月に会社は解散、御殿場馬車鉄道は消滅した。
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