修道院墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:44 UTC 版)
伝承によれば、シトー会セドレツ修道院の修道院長であったハインリヒなる人物が1278年、プシェミスル朝のボヘミア王オタカル二世によってエルサレムに使節として派遣された。ハインリヒは帰還に際してゴルゴダの丘の土を手に一杯持ち帰り、その土を修道院墓地に撒いた。このことにより、この墓地は神聖であるとされている。 このような言い伝えによりこの墓地は中央ヨーロッパ中の知るところとなり、セドレツ周辺のみならず、ボヘミアやポーランド、バイエルンからも埋葬希望者があらわれるようになった。14世紀中頃にはペスト大流行により約3万人がこの墓地に埋葬され、また15世紀のフス戦争では数千人の犠牲者が弔われ、セドレツ墓地はひっきりなしの拡大を余儀なくされていた。約3.5ヘクタールの共同墓地に、無数の死者が埋められた。
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