低価格路線のパイオニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:16 UTC 版)
かつてはどの東京23区内の大手牛丼チェーンよりも低価格で牛丼を提供していた。1990年に吉野家が並1杯350円から400円に値上げを発表し、他のチェーン店もそれに追随する中、牛丼太郎は350円を維持していた。その後も松屋フーズに対抗して300円、神戸らんぷ亭に対抗して250円と大手チェーン店が価格を下げる度に牛丼太郎も値下げを断行し、2001年には並1杯200円にまで下落した。 しかし、低価格化に伴い、夏でも冷房を入れない店舗があるなどサービスは低下。人件費も過剰な削減によってまともなオペレーションができなくなっていた。傘下店舗の離反も相次ぎ、集客力が低下し、この期間に多くの店舗が閉店した。 深澤五郎がここまでの低価格路線を敷いたことについては「吉野家で副社長まで務めた経験がありながら、なぜこのような無謀なことを?」という声も多く聞かれた。また深澤が牛丼太郎の経営に失敗したことから、吉野家の1980年の倒産はオイルショックだけではなく当時副社長を務めていた深澤の経営手腕も原因となったのではないかと、後に疑念を抱かれることとなった。
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