伯の権限のパーダーボルンへの移譲
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「ヴァールブルク」の記事における「伯の権限のパーダーボルンへの移譲」の解説
城は、初めはドーディコ伯の所有であったが、1020年にパーダーボルン司教の所有となった。この城の有利な立地と印象的な広さはすでに古い時代からパーダーボルン司教マインヴェルクの注意を惹き、司教はその教区を併呑することを望んだ。ドーディコが愛した後継者は、ある修道女との関係から生まれた非嫡出の息子であった。だが、彼は1018年におそらく乗馬中の事故で落命していた。相続者がないため、その財産や所領はプレカリウム(ドイツ語版、英語版)の形で司教に委託された。司教は、存命中は教会の所有物としてこの伯領を保持した。ドーディコは 1020年8月29日に死亡し、全財産はパーダーボルン司教のものとなった。 皇帝ハインリヒ2世は、その翌年に伯領の権限をマインヴェルクに委譲した。マインツ大司教が巡らせた陰謀によってコンラート2世はこの所領をマインヴェルクから剥奪したが、1033年に誠実な支援が認められて返還された。このため、この城は長年にわたりマインツ側からの要求に対する防衛拠点の役割を担った。
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