休刊と再創刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 02:53 UTC 版)
「ブラック・マスク (雑誌)」の記事における「休刊と再創刊」の解説
1930年代初期に発行部数がピークに達したが、ラジオ、映画、競合するパルプマガジンなどが台頭してきたため、徐々に衰退が始まった。1936年、経営者から原稿料の減額を求められた Shaw は編集長を辞め、同時に主な作家たちも同誌を離れた。後任の Fanny Ellsworth (1936–40) は新人作家を登用するようにし、コーネル・ウールリッチ、フランク・グルーバー(英語版)、マックス・ブランド、スティーヴ・フィッシャー(英語版) といった新世代の作家が寄稿するようになった。 しかし1940年代には明らかに部数が減っていった。新編集長 Kenneth S. White (1940–48) は、あらたにジョン・D・マクドナルドを発掘するなどしてがんばった。その後 Henry Steeger が名前を隠して編集長を務めたが、1951年に休刊となった。 1985年、The New Black Mask として再創刊。ジェイムズ・エルロイ、マイクル・コリンズ、サラ・パレツキー、ビル・プロンジーニといった作家が寄稿し、ハメットやチャンドラーの古い小説も掲載した。Encyclopedia Mysteriosa によれば、作家エドワード・D・ホックは「偉大な古いパルプ・マガジンの興奮とストーリーテリングの喜びに近いものを復活させた」としてこの再創刊を歓迎した。しかし Black Mask という名称の権利問題から1987年に廃刊。その後誌名を A Matter of Crime と変えて短期間だけ発行されていた。 ブラック・マスク誌はコレクターの間で高値で取引されており、特にハメットやチャンドラーの作品が掲載されている号は高値となっている。
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