伊達政宗(だて まさむね) 1567~1636
○梵天丸 藤次郎 美作守 越前守 陸奥守 左京大夫 侍従 右近衛権少将 参議 中納言
◇父:伊達輝宗 室:田村清顕女、飯坂宗康女、塙団右衛門女、柴田宗義女、芝多常弘女、多田吉廣女、村上内膳正重女、高田次郎右衛門女? 子:伊達秀宗、陸奥守忠宗、飯坂宗清、亘理宗根?、伊達三河守宗泰、宗綱、宗信、右衛門尉宗高、松竹丸、宗実、兵部大輔宗勝
出羽・伊達氏第17代当主。米沢城主。幼少期痘痕で片目を失明している。1584年若干18歳にて家督を継ぐが、翌年二本松義継により父輝宗を拉致され、これを失う。その後勢力を拡大して、1589年には会津・蘆名氏を摺上原合戦で破り、近隣諸家を尽く勢力下に置いた。しかし、羽柴秀吉の小田原征伐に際してこれに参陣し、会津等所領の大半を失う。秀吉死後は、徳川家康に接近し、関ヶ原合戦では越後・上杉氏と戦うが、一方で一揆を扇動した疑いを掛けられ、詰問されている。
◇父:伊達輝宗 室:田村清顕女、飯坂宗康女、塙団右衛門女、柴田宗義女、芝多常弘女、多田吉廣女、村上内膳正重女、高田次郎右衛門女? 子:伊達秀宗、陸奥守忠宗、飯坂宗清、亘理宗根?、伊達三河守宗泰、宗綱、宗信、右衛門尉宗高、松竹丸、宗実、兵部大輔宗勝
出羽・伊達氏第17代当主。米沢城主。幼少期痘痕で片目を失明している。1584年若干18歳にて家督を継ぐが、翌年二本松義継により父輝宗を拉致され、これを失う。その後勢力を拡大して、1589年には会津・蘆名氏を摺上原合戦で破り、近隣諸家を尽く勢力下に置いた。しかし、羽柴秀吉の小田原征伐に際してこれに参陣し、会津等所領の大半を失う。秀吉死後は、徳川家康に接近し、関ヶ原合戦では越後・上杉氏と戦うが、一方で一揆を扇動した疑いを掛けられ、詰問されている。
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