飯坂宗康とは? わかりやすく解説

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飯坂宗康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 20:26 UTC 版)

飯坂 宗康(いいざか むねやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将伊達氏庶流・飯坂氏14代当主。陸奥国信夫郡飯坂城主。伊達政宗側室・飯坂の局の父。


  1. ^ 寛文11年(1671年)の伊達騒動により飯坂家が断絶した後に著された『飯坂盛衰記』には、黒川式部(氏定)が宗康の娘を娶って婿養子に入る約束があったが、宗康が約束を反故にして娘を主君伊達政宗の側室として献上してしまったため、怒った式部は越後へ出奔し、この事を恨んだ甥の黒川晴氏大崎合戦で伊達軍を裏切ったのだとしている。
  2. ^ 権八郎を飯坂の局の実子とする説もある。
  3. ^ のち吉岡城を築いて移る。


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