伊藤 次郎とは? わかりやすく解説

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伊藤次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 14:35 UTC 版)

伊藤 次郎
基本情報
国籍 日本
出身地 日本統治下台湾
生年月日 1910年
没年月日 1995年以前
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1936年
初出場 1936年
最終出場 1939年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 次郎(いとう じろう、1910年 - 1995年以前)は、台湾[1]出身のプロ野球選手投手)。

来歴・人物

1910年に台湾で生まれた。台湾アミ族出身で本名は羅道厚。平安中学校に野球留学。春夏合わせて7回甲子園出場[1]

平安中ではエースとして活躍し、1928年の第14回全国中等学校優勝野球大会では準決勝の北海中戦で甲子園至上3人目のノーヒットノーランを達成(6対0で勝利)[1]。 平安中を卒業後、法政大学野球部へ進んだ[1]。大学では1年下のエース若林忠志投手らと共に活躍しリーグ戦初優勝も経験。東京六大学リーグ通算5勝2敗。

1936年、東京セネタースの結成に参加。1939年までの通算4年間で10勝を挙げる一方で、外野手としてもプレーした[1]

日本人女性と結婚したことで、日本国籍を取得。意気揚々と台湾に帰国するが、敗戦により再来日。母校・法政大の先輩である島秀之助らから就職支援を受けるが、長続きはしなかった[2]。その後、若くして亡くなったことが生前の島から示唆されている[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1936 東京セネタース 15 43 35 2 3 0 0 0 3 2 0 -- 0 -- 5 -- 3 4 -- .086 .256 .086 .342
1937 40 145 126 8 24 3 1 0 29 12 3 -- 5 -- 11 -- 3 12 -- .190 .271 .230 .501
1937 31 90 73 6 16 4 2 0 24 7 4 -- 5 -- 10 -- 2 10 -- .219 .329 .329 .658
1938 32 124 111 16 22 5 0 0 27 8 5 -- 2 -- 11 -- 0 9 -- .198 .270 .243 .513
1938 23 61 55 3 9 0 1 0 11 4 0 -- 0 -- 4 -- 2 7 -- .164 .246 .200 .446
1939 10 6 4 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 2 -- 0 1 -- .000 .333 .000 .333
通算:4年 151 469 404 35 74 12 4 0 94 33 12 -- 12 -- 43 -- 10 43 -- .183 .278 .233 .511

背番号

  • 24 (1936年 - 1939年)

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、54ページ
  2. ^ a b 『プロ野球人国記 近畿編』ベースボール・マガジン社、2004。 

外部リンク




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