他の路線との接続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 05:24 UTC 版)
「ナッサウ邦有鉄道」の記事における「他の路線との接続」の解説
ナッサウ邦有鉄道はヴィースバーデンで、1839年から1840年にかけて開通したヴィースバーデンとフランクフルト・アム・マインを結ぶタウヌス線と接続していた。ラーンタール線の終点のヴェッツラーでは、1862年にケルン-ミンデン鉄道(ドイツ語版)が開通させたドイツ-ギーセン線と接続していた。 ラインタール線において他の鉄道会社と接続するために、さらに以下の2つの区間が開通した。 ビンゲン-リューデスハイム連絡船(ドイツ語版)はリューデスハイム・アム・ラインとビンゲン・アム・ラインの間で1862年に開通し、ライン=ナーエ鉄道 (Rhein-Nahe-Eisenbahn-Gesellschaft) のナーエタール線(ドイツ語版) と接続した。ライン=マイン都市圏(ドイツ語版)とザール地方を結ぶ貨物輸送の連絡を実現し、ザール地方産の石炭の新しい市場をもたらした。1900年まで貨車の車両航送を行っていた。 オーバーラーンシュタインからライニッシュ鉄道(ドイツ語版)と連絡する路線は、ラーン川およびライン川に橋を架ける必要があった。オーバーラーンシュタインからライニッシュ鉄道のライン川左岸線のケーニヒスバッハ駅まで、1862年後半から2年間鉄道連絡船が運航された。主にラーン川の谷からの鉱石を搬出し、またルール地方の石炭をラーン川流域の工業へ供給するための輸送を行った。コブレンツのプファッフェンドルフでライン川にプファッフェンドルフ橋(ドイツ語版)と、ニーダーラーンシュタインとオーバーラーンシュタインの間のラーン川の橋が開通したのは1864年6月3日のことであった。
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