人形を射つ流燈の町の辻
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評 言 |
句集「山法師」(田川飛旅子第五句集)所収。昭和五十一年作。昨今は目にすることの少なくなったが温泉街などによくあった射的場。コルクの弾丸を詰めて人形等を射つ。折しも精霊を送る燈籠流しが行なわれている。燈籠がひしめき合い川を下ってゆくのは美しくも哀しい光景である。死者の霊を送る片方で、射的場もお盆休みということもあり賑っている。燈籠流しを行うのも、射的をするのも人間である。たとえ遊びであっても、人の形を銃で撃ち落す。作者は、その正反対の流燈と射的を配合した。社会性俳句のなごりのように見えるかもしれないが、田川飛旅子は熱心なキリスト教徒である。人の心の奥底にひそむ本能、原罪ということを生涯見詰め続けていた。ときに自身の罪悪であるかのように悩みもした。 この句は、実景を目にしての即吟という。作者の原罪意識、そこから兆す怒り、哀しみが読むほどに漂い出てくる。 (中村和弘) |
評 者 |
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備 考 |
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