京都六地蔵について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 23:21 UTC 版)
「源光寺 (京都市)」の記事における「京都六地蔵について」の解説
平安時代初め小野篁が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、一木から六体の地蔵を彫りだしたという伝説がある。初めは大善寺に六体の地蔵尊が安置されていたが、平安時代末期の保元年間になり、六地蔵を深く信仰していた後白河天皇は京へ出入りする街道口にあたる6ヶ所に分けて安置するよう命じた。これを平清盛が西行 に実行させ、各街道に地蔵堂を立てたものが起源だとされている。常盤地蔵は、周山街道の入り口の守護のため、浄土宗常盤院(後の源光寺)に祀られたものと推測される。
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