五社神社 (池田市)とは? わかりやすく解説

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五社神社 (池田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 03:58 UTC 版)

五社神社

境内入り口
所在地 大阪府池田市鉢塚2丁目4-28
位置 北緯34度49分2.6秒 東経135度26分13.8秒 / 北緯34.817389度 東経135.437167度 / 34.817389; 135.437167 (五社神社)座標: 北緯34度49分2.6秒 東経135度26分13.8秒 / 北緯34.817389度 東経135.437167度 / 34.817389; 135.437167 (五社神社)
主祭神 国常立尊・建速素盞鳴尊
五十猛尊・住吉大神・穴織大神
創建 神亀元年(724年)
別名 五社大明神
例祭 10月13日
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五社神社(ごしゃじんじゃ)は、大阪府池田市鉢塚に鎮座する神社

祭神

歴史

聖武天皇神亀元年(724年)、僧行基が多羅山若王寺を創建し、その鎮守社として建てられたと伝える。 鎌倉時代若王寺が真言宗に属し、社殿の背後の鉢塚古墳石室内に石造十三重塔を造立し、金剛界五仏本地仏とし、五社大明神と号した。

  • 天正元年(1573年)、織田信長の兵火で社寺ともに焼失した。
  • 天正17年(1589年)、釈迦院の伝誉上人が再建。
  • 明治初年の神仏分離で五社神社に改める。
  • 明治5年村社に列す。
  • 明治40年6月17日、南垣内の無格社素盞鳴神社・戀の山の無格社八幡神社を合祀[1]

文化財

十三重塔
  • 五社神社十三重塔(石造) 国の重要文化財(昭和34年6月27日指定) 室町時代前期
    高さ5mほどで、基礎は半ば土に埋もれているが、一面を2区に分けて、格狭間を表し、塔身は薄く彫り沈めた月輪の中に金剛界四仏の種子を配している。この地に熊野信仰が行われた際の造立。昭和10年(1935年)10月14日重要美術品に認定され、昭和34年(1959年)に国の重要文化財に指定された。
  • 鉢塚古墳上部所在経塚出土品 池田市指定文化財 考古資料第2号(昭和53年10月31日指定)鎌倉時代

交通アクセス

出典

  1. ^ 井上正雄 「大阪府全志 巻之三」 (1922)全国書誌番号:73012615

関連項目




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