五女・ジェシカ (1917 - 1996年)
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(Jessica Lucy Freeman-Mitford、1917年9月11日 - 1996年7月22日) 詳細は「ジェシカ・ミットフォード」を参照 元コミュニスト。市民運動家でジャーナリスト。姉妹のうちユニティと最も親しかったが、ユニティがファシズム、ジェシカが共産主義に傾倒するようになってからは不仲となった。またいとこで、スペイン内戦の国際旅団に参加していたエズモント・ロミリィ(Esmond Romilly)と恋に落ち、19歳でスペインに駆け落ちし、結婚。ロンドンの貧民街イーストエンドを経て、夫婦でアメリカに渡る。アメリカを貧乏旅行中、第二次世界大戦が始まると、夫はカナダ空軍に入隊した。ひとりで娘を出産するも、夫が戦闘中に消息不明となる。公民権運動に身を投じ、活動家のロバート・トルーハフト(Robert Treuhaft)と結婚、アメリカ国籍を取得。50年代には夫とともにアメリカ共産党員になる。1963年に葬儀業界の腐敗を追った『アメリカ式の死に方(The American Way of Death)』がベストセラーになり、ジャーナリストとして著書を多数出版した。 前夫との間に娘二人(一人は夭折)。二女は母と同じく活動家になり、ブラックパンサー党の黒人指導者の一人と結婚し、救急救命の看護婦になった。二人目の夫との間にできた息子はピアノ調律師。
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