二中時代 - 軍人組と校長転任問題 -
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:57 UTC 版)
「横山正治」の記事における「二中時代 - 軍人組と校長転任問題 -」の解説
4年次の1935年(昭和10年)、軍国主義の世相を反映して設置された、軍関係諸学校志望者のための、二中独自のクラス「軍人組」に編入、海軍兵学校入学試験に合格。一方この年、二中では校長の転任問題が発生した。一中(県立第一鹿児島中学校。現・鶴丸高校)校長が転任のため、後任を二中校長(一中卒)で順繰りに埋めようという県当局の方針であったが、これに関して横山は後日、作文を書いている。「二中は一中より優れているものとのみ思っていた時分に、この転任問題は青天の霹靂の如く我が胸に感じた。続いて県当局はまだ我が二中を認めないのかという憤りが沸き起こった。でも冷静に考えると自分等がまだまだ不十分な点があるのだと思って諦めようとしたが、諦め切れなかった。校長にしてみれば一中は母校であって、人情の常として、人は故郷を慕うが如く、また母校を愛するものだ。自分たちはあくまで、校長の二中留任という初志を貫徹したいが、一中生も“父”を失って気の毒である。」という趣旨で、悲憤慷慨の中にも、校長を失った一中生徒に同情の意を述べていた。
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