二中ストライキ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 17:44 UTC 版)
「沖縄県立農林学校」の記事における「二中ストライキ事件」の解説
農学校は第二中学校との併設となったが、校長をはじめ教師や事務員の中学校と農学校の兼任が多かった。これを第二中学軽視と受け取った第二中学生が不満を増幅させていった。 1916年5月に、第二中学生が農学校の生徒寮を襲撃する事件が起きた。教師の慰留をうけて一時は収まったが、6月末に事態は再び紛糾した。第二中学生が同盟して授業をボイコットし、農学校が開墾した農場を石で固めたり、校長宅へ談判するために押しかけたりした。また状況視察に訪れた大味久五郎に罵声を浴びせ、投石する事態にまで発展した。このストライキは10月まで続いた。翌1916年、大味久五郎が知事職を休職し、第二中学の那覇移転計画が発表されると沈静化した。
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