二つの崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 19:43 UTC 版)
75年の日本選手権(千葉競輪場)では、阿部は決勝進出を逸してしまった。となると残る二強の福島、田中のいずれかが優勝するものと思われたが、優勝したのは当時22歳の6番車、高橋健二。しかも高橋のこの優勝により、既にデビュー時代のときから将来の競輪界を背負って立つ選手と目されていた阿部良二らヤングパワーの台頭が著しく、阿部ら三強はこれらヤング勢に太刀打ちできなくなっていった。もっとも、1975年は高松宮杯(2着)と競輪祭(5着)で決勝進出を果したが、1976年は競輪祭(8着)のみ。この一戦では同じ阿部でも良二の爆発的なパワーになすすべもなく完敗。そしてこれ以後、阿部がGIの決勝へと駒を進めた大会はなかった。 また群馬王国とともに勢力を築き上げてきた宮城王国もまた、終焉のときを迎えていた。まさしく1975年の千葉ダービーというのは、まさに歴史的な一戦であったわけである。
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