了庵桂悟とは? わかりやすく解説

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りょうあんけいご 【了庵桂悟】

桂悟

了庵桂悟

読み方りょうあん けいご

室町後期臨済宗の僧。南禅寺二百四十一世東福寺七十一世伊勢の人。桂悟は諱、道号初め渓、のち了庵、諡号仏日禅師三条西実隆推挙で、しばしば朝廷で禅要を説いた。遺明正使として入明し、王陽明らと交流し、また阿育王山広利寺百一住持にも任じられた。『壬申入明記』の著がある。永正11年(1514)寂、90才。

了庵桂悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:39 UTC 版)

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了庵桂悟(りょうあんけいご、応永32年(1425年) - 永正11年9月15日1514年10月3日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての臨済宗の僧。諱は仏日禅師。

山城国真如寺の大疑宝信の法を継ぎ、伊勢国安養寺を経て、1478年文明10年)東福寺の住持となった。三条西実隆の推挙によりその名を高め、朝廷でしばしば禅を説いた。1506年永正3年)、後土御門天皇より遣明使の正使に任じられて1511年(永正8年)に渡り、貿易品の価格交渉や文人との交流を行った。1513年(永正10年)に帰国するが、その際の寧波滞在時に、王陽明から帰国を送る文を贈られている。その後は南禅寺や東福寺大慈院に住した。

脚注





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