九州倭国の九州統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
景行天皇の九州大遠征説話は「筑前」を拠点として「九州統一」を成し遂げた九州倭国の史書からの盗用である。 畿内の大王が、本拠地を遠く離れ7年間も九州に遠征したとは考え難い。 筑後や肥後では現地側の歓迎を受けながら、豊前や球磨・大隅では現地側の勢力と戦闘を行っている(東が討伐で、西が巡行)のは、東の大和から来た遠征軍としては不自然である。 浮羽まで来ていながら、九州の中枢筑前へ入っていないのは、不可解である。 遠征の出発地点から最終地の浮羽まで詳述しながら、突如浮羽から、日向・大和へ帰り着いている。 遠征の出発地点から終点の浮羽まで地名が、異常に詳細に、かつ長大に記述されている。 古事記の景行記には「九州遠征」についての記述が全くない。 神功皇后の筑後平定説話は九州倭国の史書からの盗用である。
※この「九州倭国の九州統一」の解説は、「九州王朝説」の解説の一部です。
「九州倭国の九州統一」を含む「九州王朝説」の記事については、「九州王朝説」の概要を参照ください。
- 九州倭国の九州統一のページへのリンク