乙未戦争の記念物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 08:21 UTC 版)
日本の逓信省は、台湾の台南で病没した能久親王の肖像を描いた記念切手を、同じく病没した熾仁親王とともに1896年8月1日に発行した。この切手自体には記念切手銘は描かれていないが、当時の新聞では「明治廿七八戦役戦捷記念」と紹介されたほか、現在ではさくら日本切手カタログなどでは「日清戦争勝利記念」切手と紹介されている。 能久親王が上陸した澳底の地に、台湾総督府は花崗岩で出来た「北白川宮征討記念碑」を建設し、日本による台湾統治の起点としていた。しかし台湾の主権を取り戻した中華民国政府により破却され、跡地には1975年に「抗日記念碑」が建設された。なお、記念碑であるが2005年に一部分が修復されたが、「北白川宮征討記念碑」の碑文は外された状態である。
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