久御山中学校への発展的分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 01:45 UTC 版)
「久御山町立久御山中学校」の記事における「久御山中学校への発展的分離」の解説
1968年頃になると、鉄筋校舎建設をはじめとする5年次にわたる中学校の将来構想が作られた。その際久御山団地建設計画など前述(概要で記述)の理由で、淀中学校を久御山町と伏見区淀地区の2校に発展的分離を行う気運が高まった。久御山町では1975年から始まる久御山団地入居開始に間に合わすべく、1973年度中に校地の決定と取得が行われた。久御山町側の新たな中学校の校地の選定にあたっては、次の4点に留意して検討された。 市街化区域では必要面積の確保が困難であるため、市街化調整区域であること。 公害・交通事故の無い良好な教育環境であること。 路線バス、自転車通学の便利な地であること。 将来的にも久御山町全域を校区とすること。 これらの4点を示した答申を尊重し、市街化区域内の工場から遠ざけ、適正な地形で必要面積が確保できたため、現在地に建設が決定した。用地(25,371㎡)の取得費は8億9508万円、建設費は5億4697万1千円(プールと北校舎の西半分を除く)を要し、いずれも公団の一部負担と立替によってまかなわれた。1975年3月末日をもって淀中学校は閉校し、同時に組合も解散された。新年度には京都市立大淀中学校と久御山町立久御山中学校が開校し、発展的分離が実現した。
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