主な重臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 13:53 UTC 版)
津田氏(500石) 津田頼房(織田高長の五男)-頼城-頼張-頼利-頼矩=頼稲=頼匡=頼道=頼順(要) 生駒氏(1700石)佐々木高一は六角義治の弟で、織田信雄に仕え、その次女を娶った。その子正勝は、外祖父信雄の母方の生駒氏を名乗ることを許された。 佐々木高一-生駒正勝-正興=正純-邦綱-通綱-方綱-宏綱=美綱-克綱-高令 生駒氏(1500石)生駒忠親は、本姓は谷氏。織田信雄に仕え、その養女を娶った。その跡は弟の範親が相続。宇陀崩れで則正が上意討ちにより殺害され家名断絶。 生駒忠親=範親-則旦-則親-則正 生駒氏(400石)生駒範親の次男重玄に始まる家。宇陀崩れで本家断絶後も存続。 生駒重玄-玄矩-玄忠-玄成=玄連=晴農=頼寛-忠得-忠教-寛栗-寛敏 田中氏(650石)宇陀崩れで、安定が藩主信武に殺害され家名断絶。 田中清安-宗興-宗氏=安定 浅津氏(500石)浅津家は、加賀衆(織田高長が加賀前田家に仕えていた時期に家臣となった家)の重鎮であったが、重満と長頼五女矢都姫との醜聞の噂が立ち、長頼の命で殺害され家名断絶。 浅津重俊-重満-重保 中山氏(400石)中山家は、初代藤田正就が加賀で高長に仕え、後に藤田を中山に改める。 中山正就-正朝=正峯-正親=正佳-親純-親用-忠貞-親寶-親和=正固-康吉
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